補足── マン・レイと余白で

ブログ「マン・レイと余白で」を補足します。

マン・レイ狂い 自己紹介


写真はマン・レイ作品「青い裸体」を抱えるマン・レイになってしまった人の自写像、1978年

 

 芸術が量産されるこの時代にあって、一人の芸術家だけを執拗に追い求めるといった態度は、ある種の「絶対の隔離」に通じる内的要請によるものではないかと私は考える。特定の作家にまとわりつくことは自分自身を理解する方法である。私はマン・レイが好きで、彼が創り出した作品のことごとくに魅せられ、それを所有し、作者の意図を知りたいと願うようになったのだが、この過程は一つの愛情物語であるといえるだろう。しかし、作者の狙いは所有者の思い入れとは異なったところにある。それは、作者の手を離れた作品がたどる幸・不幸の問題でもあるが、マン・レイ自身は「一枚の絵にどのような解釈、どのような批評がなされようと、ひとたび完成してしまった作品を変える力などない(1)」と明確にいっているので、私としては作品を媒体にして、もう一つ別に展開される精神の冒険を生きたいと思っている。(1)マン・レイ箸『セルフ・ポートレイト』千葉成夫訳 美術公論社 1981年 p.382
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 1890年にフィラデルフイアで生まれた一人の男が「マン・レイ」と名乗って人格の置き換えをやってのけた背景には、レディーメードとしての人間に対するペシミズムがあるといえる。彼の芸術が普遍性を持つのはこの為であり、彼に関わる私が彼に成り代わるのを許すのもこの点にあるのだが、この私は何人目の「マン・レイになってしまった人」になるのだろう。(石原輝雄箸 マン・レイになってしまった人 P.2-3)

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写真はマン・レイ作品「透明巨人」に映り込んだマン・レイになってしまった人、1996年 撮影:今井一

 

 わたしは、1952年に名古屋市で生まれた。高校3年生の春に中部学生写真連盟に参加したことが契機となって、東松照明森山大道といった写真家の存在を知ると共に、作品について語り合う同世代の友人と出会った。そして、「青春の情熱を無制限に信じる街路の思想」であるダダやシュルレアリスムに関心を持つに至り、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』を通してマン・レイを知ることになる。

 マン・レイの撮影した美しい女性に魅せられ、自身の撮影や現像・焼付けといった写真体験と、マン・レイのそれとをオーバー・ラップさせながら研究とコレクションを始めた。「マン・レイ狂い」と自らを称した1970年代中旬の日本では、彼の名前を知る者は僅かであった。「MAN RAY IST」の言葉に、ダダイストとかシュルレアリストといった意味を含めていたのであるが、ある画廊で知り合った女性が「
マン・レイになってしまったね ! 」と呼びかけてくれたので、以後これを採用することとした。

 コレクションというのも一つの自己表現である。
銀紙書房というプライベート・プレスは、手作りの限定出版であるが、彼に対するオマージュを形のあるものにした。又、コレクションの死蔵はマン・レイが望まないと思われるので、機会があれば公開することにしている。わたしのコレクシヨンを特徴付けるのは、彼が1915年に開催した初個展カタログに代表されるエフェメラの充実度で、展覧会が終われば忘れ去れ捨てられる運命にある小さな印刷物への溺愛。エフェメラを手にすると過ぎ去った時間が甦り、その場にいると錯覚する不思議な感情を持ってしまうのである。